
都立校だったので高校にはゴルフ部はありませんでしたが、
学校が終わると練習場に行く日々が始まった訳です。
とは言っても競争相手の居ないゴルフ練習にたいして身が入る訳もなく、
たいした成績も残さないというか全く絵に描いたようなへたくそジュニア時代でした。
■大学にて
「やっぱゴルフなら日大だろー」という安易な考えでゴルフ部です。
中学テニス部、高校体操部だったんですが、お遊びのクラブの経験しかなかったので、
大学の体育会は体力的なことより、先輩後輩の関係が辛かったですね。
そそうばかりして、いつも先輩のお説教をくらってました。
ゴルフは大学で同級のレギュラー達の練習を見てまねて、
初めて成果が出せる程度の練習量になりました。
当時は一日に多いときで2000球、少ないときでも1000球、
自分にノルマを課して打ちました。
多少スイング理論など無視でもそれだけの球数を打てば、そこそこのスコアで
あがれる様になる物でそれでも平均ストロークは年間で80程度でした。
今思えばこのハードな練習で間違った我流スイングを身に着けてしまったのです。
■研修生時代
大学3年にあがってからゴルフ部を中退し、研修生になるのですが、
まず、関東ゴルフ練習場連盟の研修会に参加しました。
当時の平均ストローク78回です
入会テストが78以下で回ることでしたが、めでたく1オーバーで通過。
でもその後の半年の研修会で平均ストローク80回。
もう一度Bクラスで修行しなさい!って感じ
これは練習場のレッスンプロなんかではトーナメントプロ絶対無理!
今でも忘れない連盟の最後の研修会、千葉のかずさカントリー
「さくら」「富士」「つばめ」コースで27ホール、トータルスコア138回
(ちなみにパー108、ハーフ40×3で120回です)ん〜へたくそ!
OBが合計13発で何しに行ったのかわからん!
次の日に就職できるゴルフ場を探し電話しまくり千代子(おやじギャク定番)
とんとん拍子に東の宮カントリークラブの社長と面接、就職、
入社日は昭和59年7月18日、ちょうどマルマントーナメント開催の日と
重なりましたが、参加しても所詮・・・無駄な抵抗はせず入社しました。
翌日より夢の様なゴルフ場生活です。毎朝起きるとゴルフ場なんですよ!
寝てられませんよね?
4時起きで、練習始めて7時から作業です。
午後3時に作業終了のち暗くなるまで練習して9時に寝る。
そんな生活が始まりました。
ゴルフ場のヘッドプロは渡辺司プロ、今はもうシニアツアープロですが、
僕が入社した年はちょうどシード権が40位までから60位に拡大された
ため、ちょうど大町明義プロとぎりぎりの線上にいて、よく一緒に行動してました。
前年のランクが113位でしたから、まさに売り出し中の先輩プロのもとに
弟子入りしたのです。
研修生生活の詳細はブログで随時更新して行こうと思ってますが、
新生活は思った以上に充実した毎日と、いい先輩プロと先輩研修生に恵まれ、
これでプロにならなかったら本人の努力が足りないか、
センスが無いかのどちらかです。
しかし残念ながら後者です。なぜなら
上記のプロたちはいわゆる青木軍団の一員で、
(当時ジャンボ尾崎プロ率いるジャンボ軍団と青木功プロ率いる青木軍団で
賞金ランク上位を占めていました。)
つまり、おのずとそのプロたちと行動を供にする機会も多く、
当然、青木プロに直接指導していただくこともあった訳です。
もっとすごいのが、当時の東の宮は秋口に年始特番の「ドリームマッチ」という、
今時のおっさんたちは皆知っているくらい超有名ゴルフ番組の収録をしていたんです。
なにがすごいって、ジャックニクラウス、トムワトソン、グレッグノーマン、
クレイグスタドラー、レイフロイド、などなど
憧れの世界のトッププロたちを招待して、青木功プロと対決するという
スーパーイベントが毎年あったのです。
今で言うならタイガーウッズと石川遼の一騎討ちでしょうか。
もちろんその日は、自分たちでグリーン刈って、カップ切って、
キャディーして、もーこんな贅沢ありません
トムワトソンなんか大ファンだったのに、話しかけられたらあがっちゃって
何しゃべってるか判らなかったくらいです。(英語ですから)
収録終わった後にはそのコースをプレーする訳です。
あ・り・え・な・い・・・(おさるも泣いてます)
トッププロのプレーを見た後はその姿が乗り移ったように、
いいゴルフが出来るんです。魔法の効果は一日限りですけど。
つまり、環境はこれ以上無い絶好条件にあった訳で・・・
ブログのプロフィールに書いてあるように、
膝のじん帯を切って、辞める前1年間ろくに練習が出来なかったのは事実で
確かにプロゴルフをあきらめる一因にはなりましたが、
我流で身に付けたスイングにはおのずと限界がありました。
そうこうして28歳までゴルフ場で研修生をし、
最後に研修会の予備テストに落ちたところでやめる決心が出来、
その日のうちに社長、支配人、渡辺司プロに連絡し、
その週末には研修生生活に終止符を打ちました。
大人になって負けて泣いたのはこの時限りです。
■娑婆に戻る
3月6日に東京の実家に帰って3月いっぱい浪々の身で、さーてどーしたもんかなと
途方に暮れたはありますが、まだ若いですからねー
どこか勤めるくらいならゴルフ場関連の知人のコネを当たればいい訳だし、
まったく、勤める気は無しでした。
ツアープロをあきらめたと言ってもゴルフ界に残れば用品からツアー運営まで
大抵の事はすべて出来たのですが、
「ツアープロ崩れがそのままゴルフ界に残るのが潔くない」っていう変なこだわりがあって、
レッスンプロやメーカーさんなどのお誘いは全てお断りしました
かと言って起業する知識も金も無し。
やっぱり実家の会社を手伝うべくして、手伝い始めたという感じでしょうかね。
営業のノウハウも無し、遅すぎた社会人一年生に何が出来るかと言えば
お客さんと仲良くなって仕事をもらう「ゴルフ営業」です。
ここからホントのゴルフ理論確立の旅が始まるのでした。
毎週末日曜日に営業ゴルフで年間50回行った年もあります。
当時は土曜日も仕事でしたから365日休み無しです。
ただ、全然上手く行かないんです。いい時は70台で回りますが、
ちょっと叩くとすぐ90叩いちゃうんです。
研修生当時は毎日練習で作ったスイングですから、多少悪くとも当たります。
しかし、練習もせずに週末だけコースに行くと
これはヒドイ!当たらない、飛ばない、曲がるの三重苦です。
この練習で作り上げた究極の我流スイングが抜けきるまで10数年、
最近は、たまにコースに行ってもそれほどひどいショットは出なくなりました。
頭で考えていることと体の動きがリンクしてきたという感じです。
■メルマガの発刊
なぜ、ツアープロになれずにレッスンプロとしてもゴルフ界に残らなかった
ツアープロ崩れの私が今頃ゴルフレッスンのメルマガなのか?
東京に帰り、仕事を始めてから多くのアマチュアの方たちをレッスンしてきました。
アマチュアの方たちにレッスンをして、びっくりしたのは、
多くの方がスイング理論について、皆同じとこで同じ勘違いしていること、
その勘違いを正すことで、短期間に信じられないような上達ぶりを見せることです。
普段から練習量の少ないアマチュアの方は、正しい理論を理解しながらの練習が出来れば
少しの練習量でも簡単に上達できるということがわかりました。
いつかこのゴルフ理論を本にする機会があれば・・・長い間そう考えていました。
書籍の出版となるとオオゴトなイメージですが、
無料のメールマガジンであれば手軽で、多くの方に読んでいただけるかも・・・
これがメールマガジン発刊のきっかけです。
多くのトッププロたちは解りやすい言葉では教えてくれません。
なぜなら多くの場合、経験で身に付けたことを
経験をもとにした言葉で話すからです。
多くの読者を対象にした、雑誌やレッスン書はおのずと一般的な書き方になってしまいます。
青木功プロに教わったことはゴルフをやめてから意味が解りました。
(わかったのはやめて何年もたってからです。)
渡辺司プロやたくさんの先輩プロたちに教わったことは今でもゴルフに生きています。
最近は月一のゴルフですが、月一ゴルファーになってやっと昔の癖が抜けきったようです。
たまーに練習場に行ってもそこそこのスイングがいつでも出来るようになりました。
今、僕の打球、飛びますよぉ?。
今の若いツアープロと変りません。身長172cm体重65kgですけど。
当時は一生懸命人生賭けてやってたのになんでだろう?
無念だなぁ? これが人生なんだなと思うとともに、
世話になってお返し出来なかったことの方が心残りだなと思うようになりました。
今後、お伝え出来る情報は残さず書いて行こうと思います。
ゴルフを中心に長々と書いてきましたが、
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これからも末長いおつきあいをよろしくお願いいたします。